やり残したことを今すぐやらないと施設に収容される事実が判明
得体の知れぬ感情
「まだこれやってるの?いつ終わるの?後輩の面倒見てるか?」
また始まったよ…部長の細かい指摘…
ただ口出すだけが仕事のお前にはわかんねーだろうがお客さんも忙しいから電話のやりとりだけでも時間取られるんだよ…
もちろん、心の中だけで思いっきり毒づく。
「はい、なるべく早く片付けます。失礼しました。」
ふぅ~…席に着き呼吸を整える。
「先輩大丈夫ですか?深いですね」
「そんな冗談いらないから昨日頼んだやつ早めに仕上げてくれ」
「はぁい。そんな固い顔してるとぬりかべって呼ばれますよぬりかべ先輩。」
新卒で入社してから早8年。
22歳で社会人になり、ついに30歳になった。
結婚もしたし、子供もできた。
ステータスだけみたら順風満帆なんだろう。
しかし、なんだろう、このなんとも言えない感じ。
いや、もちろん結婚が嫌なのではない。
子どもが嫌なのではない。
仕事が嫌だ。
でも、仕事が辛いのは当たり前。
当たり前だから仕方ないんだ。
けど…ふいに、どうしようもなく虚しくなる。
俺はこのままおじいちゃんになっていくのだろうか?
漠然とした不安に襲われる。
理由はわからない。
こんなこと、誰も思わないだろう。
みんな、幸せに今を生きているんだろう。
俺だからこんなことを考えてしまうんだろう。
妥協して選んだから。
後悔のないように仕事を選んでいたら、こうはならなかったのかもしれない。
いや、あの時の俺にはそうするしか、正社員として働く以外に道は無かった…
答え探し
帰り際、ふらっと本屋に立ち寄る。
いつもは時間潰しでしか寄らないが急に寄りたくなった。
この得体の知れない感情を解決してくれる本はないか…そんな気持ちがどこかあったのかもしれない。
本を読んだだけ層になり、地層ならぬ知層になる、なんてポスターが貼られている。
そもそも、仕事して、家に帰ったら家事をして、一日が終わりなのに、層なんて作ってる場合じゃねーわと突っ込む。
一通り歩いて探してみる。
ふと、平積みされている本が目に入った。
「やり残したことをやりなさい」
最近はこういう何々しなさいっていうタイトルが増えたなぁと思う。
手に取り、パラパラとめくってみると「あなたがやり残したと思う事を今すぐやりなさい」と書いてあった。
なんだそれは。
そんなこと、できるわけないだろう。
俺には子供がいる。
妻もいる。
家庭がある。
守るものがある。
新築の家がある。定年までがっつり働きづめだ。決定事項だ。生活がある。
やりたくないけど働かなくてはならない。
やり残したことが今すぐできる時間があるならとっくにやっている。
本に怒りを覚えたのか多少乱暴に本を棚に戻した自分に驚く。
自分の心のきりが晴れるような内容は見つからなかった。
残念に思いつつも、結局人生そんなもんか…と自分を納得させつつ重い足取りに喝を入れ家路を急ぐことにした。
やり残したことって?
「なぁ…人生でやり残したことってある?」
子どもが寝付き、俺は妻に聞いてみた。
なぜこんなことを聞いたんだろう、その気持ちもよくわからない。
「ん~やり残したことか…私は家が貧乏だったから、本当は看護師とか薬剤師とかちゃんとした資格を取る為の学校に行きたかったかな~。」
す、すごい…わが妻ながらなんて真面目なんだ…
俺なんか…「心理カウンセラーになるんだ!」
なんて鼻息荒くして奨学金借りてまで大学行ったのに、結局その職には就かずまだモヤモヤしているというのに…。
まぁ「人の悩み聞いている場合じゃないわ」ってくらいお金なかったからしょうがないとあきらめているが…
やり残したことを今すぐか…
扉をゆっくりと開け、起こさないように子ども達の寝顔をながめる。
なんて可愛んだろう。
まんじゅうに筆で絵を描いたかのようだ。
昔は年に一度、必ず実家に親戚一同が集まってる時があった。
今では行けていないが、中学一年生の時、顔を覚えていない「いとこ」に落とし玉をもらったことがある。
そのときの「いとこ」は30歳と聞いた。
あんなにしっかりしてて凛々しい、けどもうオジサンだな、と感じたのに。その歳に自分がなるとは夢にも思わなかったのに。
いざなるとなんともあっけない。
そしてなにも成長していない。
高校を卒業してから自分はなにが成長したのだろうか。
いや、なにも変わっていない。
けど、漠然とした不安がる。このまま歳をとっていくのだろうか。
このまま子供たちが大きくなるまで同じことの繰り返しなのだろうか。
ギリギリの生活を繰り返し、ガマンを繰り返し、会社と家の往復を繰り返す。
今の自分はミュージックプレイヤーの「リピート」ボタンを押した状態と何が違うのだろう。
突然の訪問者
ある日の土曜日。
子どもたちは妻の実家にお泊りに行っていたため、ゆっくりとした朝を過ごしてした。
掃除、洗濯を早めに終わらせ、撮り貯めた録画を見る。
子どもができる前であれば、友達に手当たり次第に電話をかけ遊びに行っていただろうが、今ではそんな気力はない。
ピンポーン
「あ、私出るよ」妻が出てくれる。
「はい」
「こんにちは、国政調査員です。ご主人様はいらっしゃいますでしょうか?」
「はぁ…少々お待ちください。」
妻が私の後ろに立ち
「なんか変な人がおとうさんを呼んでるわ」
変な人…?
再生していたお笑い番組を一時停止ボタンで止め、玄関に向かう。
「はじめまして。ご主人でいらっしゃいますでしょうか。」
なるほど、変な人というより怪しさはある。
この夏になりかけているというのにしっかりスーツを着ている。
しかもついさっきクリーニング店からもらってきたんじゃないかと言わんばかりの真っ直ぐ具合だ。
そして姿勢が正しい。
「はぁ。一応。どういったご用件でしょうか。」
こちらはでハーフパンツにTシャツだ。ここまでかっちりした人の前にいるとなんとなく恥ずかしくなってしまう。
「現在国政から30代を対象にした思考の調査というものを進めておりまして、本日はここら一体の調査に参りました次第であります。
簡単な質問をするので5分ほどお時間を頂戴いたします。」
仕事中ならまだしもお笑い番組を見ていた矢先にこんな難しい感じで来られると脳が追い付かない。
「では、質問させていただきます。」
政府の新処置
「人生でやり残したことはありますか?」
「はいぃ?なんですかそれは」
「ご主人様が今ままで生きて来られた中でやり残したなと『後悔』している事柄のことです。」
な、なんなんだ。後悔しているって意味はわかっている。
脳みその処理が追い付かない。
わからないのは、国から派遣された人がそんな自己啓発セミナーの講師みたいなこと聞くのか?ってことだ。
「すみません、それを質問する『目的』はなんでしょうか?」
「申し訳ありません。本件の目的は回答しかねます。」
「なんで?というかいきなり来てなんでしょうか?任意ですか?」
「残念ながら、日本に住む30代の男性が対象の『義務』となっております。つまり『強制』となります。」
なんだその義務は?聞いたことがないぞ。
「今年度より施行された法律でございます。ご存知ありませんでしたか?ニュースでも取り上げられていましたが。」
怪訝な顔をしてたらか、補足で説明をくれたようだ。テレビをほとんど見ないから世の中がそんなことになっているなんて知らなかった…。
「知りませんでした…」
「そうですか、では改めてご説明させていただきます。簡単に言ってしまいますと『働き盛り世代の意識改革』となります。
近年、思考の力の強さは科学的にも説明のつくものとなってきております。
それらを該当する国民を調査し改革するというものです。
また、一部の条件に該当するという方は強制的に意識改革施設に収容され研修を行うこととなります。」
難しいことを簡単に説明するっていうのは難しい技術で、それをこの人はおそらく体得しているんだろな、という感じがなんとなくした。
「へぇ~30代の意識調査ねぇ…ん?研修?ってなんですか?」
「国が指定した施設にて、指定した講師による研修を受けて頂きます。」
「どんな?期間は?」
「明確に決められてはいません。あえて言うのであれば、当事者である意識が改革するまで、となります。」
「え…じゃあ収容されたら?お金は?」
「もちろん支給されません」
「仕事は?どうすればいいんですか?」
「当面は『休職』という形を取らせていただきます。」
なにを意味のわからないことを話しているんだろう。国がそんなワケのわからないことをするだろうか。
「ちょっとお待ちください」
俺は国から派遣された人に言い放ち、返事を待たずに家に戻る。
「なんかヤケに長かったね~」
妻が俺が見ていたお笑い番組の続きを見ながら話しかけてくる。途中で止めていたのに、という気持ちを今はグッと抑え、家の電話の子機を取る。
110番…110番…
誰もが知っている番号だが、いざ押そうとするとこれでいいのかという感情に襲われる。
「はい、こちら緊急連絡センターです。事件ですか。事故ですか。」
はい!こちら警察です、とは言わないんだなと初体験に戸惑う。
「すみません、今、家の前に国から派遣されている人が来ていて、なんか最悪国の施設に収容するとか言ってるんです。」
「ちなみに、そちらの方は何かカードを首から下げていますか?」
こっそり戻り玄関から穴をのぞき込む。緑色の紐を首からさげ『労働改革調査員』と書いてある。
「『労働改革調査員』とか聞いたことない文字が書いてあります。」
「えーっと…緊急で電話して頂いて申し訳ないのですが、その方は今年度より施行された『労働意識改革』の調査員の方です。安心してください。実はこの問い合わせが今年度激増しておりまして…。」
「え?じゃあれっきとして国から派遣された人なんですか?」
「はい。『労働改革調査員』の許可証を見せてくださいというと証明書を見せてくれますよ。」
「そうですか…お騒がせしました…」
じゃああの玄関にいるやつはれっきとした国から派遣された人間で?該当者は収容しますって…
「どうしたの?大丈夫?」
妻が怪訝な顔でこちらをのぞき込む。
「いや、大丈夫だよ、ちょっと怪しいから警察に確認しただけ」
そういい、また玄関から外にでる。
「お待たせしてすみません。戻っていきなりで『労働改革調査員』の許可証を見せてください。」
「あぁ、そういうことでしたか、身分を名乗らず申し訳ありません、私たち調査員もまだまだ試行錯誤中でして…」
そうして許可証がでてきた。はっきり言って意味わからんが、一番下に内閣総理大臣の名前とハンコが押されている。
「わかりました。ありがとうございます。」
「いえいえ。理解していただき恐縮です。では早速ですが、先ほどの続きです。『あなたがやり残したこと』はなんでしょうか?」
やり残したこと…やり残したこと…部活か…夢か…脳がグルグル回転する。
「ぐ…う~ん…はっきり言って…わからない、です。」
「あなたの人生において、やり残したことがない、ということですか?」
「いえ、そういうことではなく…」
「ではどういうことでしょうか?」
俺の人生、はっきり言って悪くはないと思う。
妻とは大恋愛の末結婚、子供は二人と子宝に恵まれ、持ち家もある。
幸せと言っていいだろう。
けど、ずっとどこかモヤモヤしている。
けどその正体がわからないのに更に”やり残した事”を聞かれても意味がわからない。
「わかりません。すみません。」
調査員の眉尻が上がるのを見てなぜかドキンとした。
「承知しました。では調査結果が後日届きますのでご確認願います。ではお時間いただきありがとうございました。」
該当者
俺宛にこう書かれた封書が届いた。
【あなたは意識改善該当者です】
大きな字で書かれているが、意味のわらないことがそこには書いてあった。
なぜ、俺が…一体どうしろと。
「なにこれ?え?なにこれ?」
妻が困惑している。それはそうだろう。俺だって困惑しているのだから。
そしてさらにこう書かれていた。
該当された方は国民としての義務を果たしていただくこととなります。
下記に記載されている施設に集合し、係員の指示に従ってください。
会社員の方は、会社の方に『休職』の手続きを申請済みです。
該当者のみの収容となり、意識の改革が終わるまでは面会等は不可となります。
そして最後はこう締めくくられていた。
【本紙に記載されている処置を受けずに逃亡をはかった場合、500万円以下の罰金か懲役3年以下の禁固刑
課せられます】
本当にどうしていいかわからなくなると思考が停止してしまうんだ…とおぼろげに思った。
床が泥沼になったかのようにひどく思い。
得体の知れない不安に襲われる。
この国は一体どうなってしまったというのだろうか。
意識改革
「では『証明書』をお見せください。」
実際にその施設とやらに来てみると、ちょっとしたイベント位の人がいる。
家に届いた封書の中身を見せると、間違いありません。では、こちらへお進みくださいと案内される。
周りを見渡すと、みんな同じ年代の男しかいないようだ。
そういえば調査員が30代の男性…って言ってたような…
恐ろしいのがこの意味のわからない現実に慣れてきてしまっている、ということだ。
タイムマシーンがあって10年前の自分に会いに行き「おい、俺、お前は1年後に労働意識改革のために施設に収容されるぞ」と言われても全く納得できないだろう。
広いホールに通される。
程なくして、これまたカッチリしたスーツで髪の毛もピッシリとした男性が現れた。
「始めまして。私は『労働意識改革』の責任者です。
最初に、今回、国の政策としても初の試みでした。
そのため、至らない点等々あったかもしれません。ご不便をかけまことに申し訳ございません。」
こういうのを『面を喰らう』というのだろうか。まさかいきなり謝られるとは、思ってもみなかった。
あっけに取られている最中にも話は進む。
「現在、日本という国は、先進国でありながら、世界トップレベルの自殺大国であります。
そして、それはどのような世代が多いのか。
それが、ここにいる方々のような『30代の男性』が非常に多いのです。
30代の男性と言えば、環境が大きく変わる年齢でもあります。
仕事では責任感が増す。経験年数も増えるでしょう。今まで求められていた社員としての責任の上に『先輩、上司』としての役割を求められる。
家庭では子どもが生まれる場合もあるでしょう。『夫』ということだけでなく『父親』も求められる。
昔、それこそ何百年も前は『亭主関白』なんていう日本独自の文化もありました。しかし、それは働きに出れば一家を養えるほどのお金を稼ぐことができたから。
昨今の時代では、それが不可能になりました。しかし、求められていることは増えているのです。
ただ、それが真の原因ではありませんでした。
精神疾患でカウンセリングを受ける30代男性を対象にある調査をしたところ、それが見つかりました。
表面上、皆さん仕事が、プレイべートが、とおっしゃるのですが、まったく想像もつかないことだったのです。
それが…皆さんに以前お伺いした、『やり残したこと』だったのです。これはどういうことか?説明してきます。
やり残したこと、というのは要するに『自分の一生を捧げてもいいほどの情熱がある事柄』です。
夢、と言っていいかもしれません。
これらがとある条件だと非常に危険だということが統計から明らかになっています。
今回収容させていただく方々は、調査員に対して『ない』、もしくは『答えられない』方を対象としています。では、それはなぜか?
単刀直入に言わせていただきます。『生きる目的』を失っているからです。
妻のため、家族のため、子どもがカワイイから、仕事で責任があるから。こういうものはすべて外側、いわば自分より外の要因ですよね。
違うんです。
自殺してしまう程の重圧、それは外からやってくるのではありません。全て、自分の内側から来るのです。
自分がなんのために生きているんだろう、生きている意味とは、目的とは、そういうものが外的要因に追われおろそかになり見失い、意味の見出せず自分の生涯を勝手に閉じてしまうのです。
自分自身に価値がないと思い続けてしまうのです。
そのため、世界的に見ても初めてですが、国として、自分の価値を再確認し、自分自身の中にある『生きる目的』を思い出してほしい、見つめ直してほしいというプログラムになります。
ご理解いただけたでしょうか。」
俺を含めてほぼ全員が固まっている。
国がそんなことをするのか。
そんなこと、考えたこともなかった。
いや、30歳を迎えてこれでいいのだろうか、と漠然と思っていたことは、あの人が言っていたことなのだろうか。
「それでは、よりよい国を作るために皆様、何卒ご協力の程、よろしくお願いいたします。」
移動
その後、バスで移動となった。外が見えない作りになっているため、どこを移動しているのかさっぱりわからない。
というかバラエティのクイズ番組のようにイヤホン、アイマスクまでされる始末。
これを映像として見ている側はさぞ楽しいだろう、とふと思った。
時間の感覚がわからならいまま移動が続く。
…
……
………
音楽が終了し、肩を叩かれる。気付かないうちに寝ていたようだ。
外に出ると…これまた見たことのない施設に到着している。
小さい頃修学旅行に来たような山の奥にあるようだ。
「明日までは自室に限り自由時間です。明日まではごゆっくりどうぞ。」
案内され、鍵を渡される。
6畳程度の個室だった。
というかまんまビジネスホテルのような部屋だ。
勝手に相部屋だと思っていた俺は胸をなでおろす。
こんなとこまできて知らない人間に気を使うなんてごめんだからな。よかった。
しかし、部屋を見渡しても、なにもない。
テレビもない。
スマホは没収されている。
机の上にノートとボールペンが置いてあり
「ご自由にどうぞ」
とかかれているだけだ。
こんなんで明日まで暇つぶしをしろというのだろうか。
心配だ。
妻は、子供たちは大丈夫だろうか。
いっそ夢だったらいいのに、と思うほど今の状況に現実味がなかった。
苦行
「スケジュール」
と書かれた紙を渡された。
確認するも、理由がわからないことばかりだ。
そこからは味わったことのない出来事の連続だった。
滝に打たれる、
洞窟で瞑想、
バンジージャンプ、
シュノーケリング、
苦行かな、と思わせたり、バカンスを思わせたり、理由がサッパリわからないままなんとかこなしていく。
なんとかこなすも理由がわからない。
そんなこんなで恐らく2日が経過した。
俺は我慢ができなくなり、係員に尋ねた。
「すみません、一体いつになったら帰れるのでしょうか?」
「少々お待ちください」
…係員は誰かと連絡を取っているようだ。
「では、こちらでおまちください」
小さく殺風景な部屋に通された。
タイマン
「お待たせしました」
以前家に来た調査員と同じ格好をしたかっちりスーツを着た人間が現れた。
個室にて、1対1のカウンセリング。
実際に受けたことはないが、精神的なカウンセリングはこう受けるのだろうかという感じだ。
対面に座らないので顔を直視しなくて済む。
しかし彼の言葉からでた言葉は求めていることとは違うことだった。
「答えは見つかりましたか?」
「ハぁ?」
思わず攻撃的になる。
「いや、あの、俺はいつになったら帰れるのかを聞いてまして…」
「答えが見つかるまでお帰り頂くことはできません。」
「じゃあ一体どうすれば…妻も子供も待っているんです。一体どうすれば…」
「では、簡単な質問をします。」
「小学生の頃好きだったことは?」
「へっ?」
想像すらしていないない事を聞かれる。
「ミニ四駆ですかね…それがなにか」
その後も機関銃のごとく質問を受ける。
「中学生の頃好きだったことは?」
「高校生の頃好きだったことはなんですか?」
「大学生の頃好きだったことは?」
「最近ハマったことは?」
そして…
「では、明日死ぬとしたら、一体なにを後悔するでしょうか?」
…考えたこともなかった。
「最近では確かに寿命が延びています。
しかし、人間いつ死ぬかは誰にもわかりません。私も、あなたもです。
そこで、質問です。
明日、あなたが死ぬとしたら、何を後悔しますか?」
死んだら今までの質問もふまえて、自分の中の小さな感情に気付いた。
「お笑い芸人を…目指したかったです…」
「それはなぜでしょうか」
「…なぜ…か…
大したことじゃないんです。
小学生の頃、嫌なことがありました。
いじめ、までいかないですが、足をひっかけられたとか、
ボールを意味なくぶつけられたとか、
そんなつまらいことで元気がなかったんです。
家に帰ると、あるお笑い番組がやってました。
それでお腹がちぎれるかと思うほど大笑いしたんです。
物凄くくだらないただのワンコーナーだったんですが、死ぬほど笑いました。
松本人志さんのコント番組でした。
そして、気付いたら嫌な気持ちが吹き飛んでいたんです。
なんてすごいんだろう、お笑いって、と思いました。
そこからお笑い番組は欠かさず見ました。
学校でも真似ごとをしました。
高校ではお笑いの価値観が一緒の友達ができました。
冗談で『お笑いコンビ組もうぜ!』って言われて心が揺れました。
それも悪くないなって。
その後、大学に行き、就職するも、なにか満たされたいままでした。
安定が欲しかったので、お笑いで生きるなんて選択肢にありませんでした。
でもずっと後悔していたんだと思います。
若いうちしかチャレンジできないのに、安定がないからって早々と諦めて。
そうこうするうちに結婚して子供ができました。
自分の人生は家族を守ることだ。
そう思いました。
大切です。間違いなく大切です。
でも、、、お笑い芸人、いや、お笑いに関することなんでもいい、挑戦できなかったことを悔いているんだと思います。」
今、何ができるか?
「よく、思い出してくださいました。おめでとうございます。」
「はは…」
恥ずかしい。30歳ってもっと大人だと思ってた。
けどそんなことなくて、中身は何も変わっていなかった。
質問攻めにあって初めて気付いた。…いや、気付かないフリをしていたことに気付かされたんだ。
「では、今すぐその『やり残したこと』に取りかかってください」
「え…あの…聞いてましたか?確かに俺はそうなりたいと思っていました。けど、もう遅いんです。それに家族もいて、俺が今の仕事を辞めてしまうと…」
「私は今の仕事を辞めろなんて一言も言っておりません。」
「じゃあどういう意味で…」
「なんでもいいのでその『やり残したこと』ことを初めてください。どんな小さなことでも構いません。という意味で言いました。」
小さなこと…
「例えば、お笑いに関する本を読む。社会人から芸人なった例を探す。なんでもいいんです。
今では『インターネット』という便利な道具があります。そこに顔を出さなくても、先ほどの『ネタ』とやらを載せたっていいですよね。
動画共有サービスに、その友人とやってみるのもありかもしれません。」
「そんなことやってもなんの意味もないし足しにも…」
「本当にないでしょうか?」
鋭い眼光で射抜かれる。思わず目をテーブルに逸らしてしまう。
「あなたがやりたいと思っていたことをやることが、本当に意味がないでしょうか?
私は小さい頃、友達とひたすらおにごっこをしていましたが、それって全く意味がなかったでしょうか。
ただ、友達と遊べるから、楽しいから、遊んでいました。
あなたも同じ経験、ありますよね?それは全く意味ないでしょうか?
どうしてそれと同じ事してはいけないのでしょうか。
誰に言われたのでしょうか。
それをすると誰かに迷惑がかかるのでしょうか。
犯罪でしょうか。
あなたが楽しいと思った事はとにかくやってください。
意味のないことなんてないんです。
全部経験なんです。
失敗なんてないんです。
全部経験なんです。」
「経験…」
「いいですか?あなたは当然幸せになるために生まれてきました。
ちょっと宗教みたいな感じに聞こえるかもしれませんが、当然の権利です。
幸福論という学問だってあるんです。
そして生まれてくること自体、人生というものを楽しみに生まれたんです。
あなたがやりたいこと、ワクワクすることをやらないっていうのは、ディズニーランドに行って、なにもせずに園内を一周して帰るのと同じことなんです。」
「それは…もったいないですね…」
「ですから、やりたいこと、ワクワクすることをするために、いきなり仕事を辞めてお笑いの事務所に行けとは言いません。
そうではないのです。
『今、できることから』やってください、というお話をしているのです。
例えばイチロー選手がいますね。
小学生である彼が夢であるプロ野球選手になるために、いきなりプロ野球の団体に売り込みに行ったでしょうか?
そんなワケはないですよね。
まず日々コツコツと素振りをして、誰よりも練習したでしょう。
実際に、他の人が遊んでいる時間僕は練習をしていたから絶対にプロになれるという自信があったそうです。
もちろん甲子園優勝校などの出身ではありません。
しかし、あきらめない限りは勝手には逃げないのです。
プロ野球団に足が生えて逃げるでしょうか?
翼が生えて飛んでいくでしょうか?
そこにありますよね?」
「でも彼は何か特別な」
「ありません」
俺の意見はぴしゃりと遮られた。
「彼は
努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。
という非常に厳しい言葉を残しています。
それは誰よりも苦労してきたからこそ出る言葉です。
才能だけで楽勝だったなら『野球は俺の天職だ』とか『楽勝すぎ』とかいう言葉を残している事でしょう。
でもそうじゃないんです。
同じ人間です。
所詮同じ人間なのです。
意思のエネルギーの総量は変わりません。
結局それをどう活用するかなのです。
伝わりますでしょうか?」
あんなメジャーリーグに行くようなすごい選手、野球をやっている人からしたら神様みたいな存在で、野球をよくわからない俺みたいな奴でも知っているイチローが同じ人間…。
「でも納得」
「まだわかりませんか。」
再度遮られる。
予測機能でも備わっているのだろうか。
「それでは、あなたが好きな『松本人志』さんでお話しましょう。
彼は養成所に入った時点で同期から『1位にはなれない』と諦めさせるほどの才能があったようです。
それはものすごい才能だったんでしょうね。
しかし、必ずしも先に売れ始めたワケではありませんでした。
彼ですら、厳しい下積み時代があるのです。
そして『100点は無理かもしれん。でもMAXなら出せるやろ』という格言を残しています。
予想を裏切るからこそ笑いが起きる、というのは彼の感性+お笑いの経験値を貯め続けたからこそ導き出されたものだと思います。」
…小さい頃から見続けてきた彼にそんな事実があったなんて。
『才能』がない凡人は、凡人なりで普通なりの人生を生きていくしかない、と思っていた。
「そして彼の相方である浜田雅功さんの話もしておきます。
彼はお世辞にも才能にあふれていると言われたワケではありませんでした。
しかし彼は人知れず努力を続け、今でも松本さんの相方をしています。
それはなぜか、当然、隠れて努力を続けたからです。
先輩芸人の漫才を死ぬほど繰り返し見て”間”などを勉強し続けたそうです。
そしてあの松本さんに『浜田ほど努力した奴を俺はしらない』と言わしめるほどだったといいます。」
そうだったのか…ダウンタウンって本当にすごかったんだな…。
「ですので、あなたにはこれから、あなた自身の才能を発掘し続けて頂く必要があります。
もちろん、それは私たちがどんなシステムを構築しても、どんなプロジェクトを発足しようとも、どれほどのお金をつぎ込んだとしても、見つかるものではありません。
というのもセンサーはあなたにしかついていません。
あなたが自身が試行錯誤を続けていかなくてはいけません。
それを続けていく上で辛いこと、悲しいことが起こる可能性があります。
しかし、あなたがあなたらしく生きていけない辛さに比べれば取るに足らないくだらないできごとです。
ぜひとも自分貫き続けてください。
よろしいですか。」
「はい…。」
わかったようなわからないような…
ただ忘れてたこのワクワクする感じは何年振りだろうか…
自分で自分の気持ちにフタをし続けていたことがわかった。
ちょっと…また探してみようかな。
「ではお部屋に戻り、荷物をまとめて早急にお帰りください。お疲れ様でした。」
告白
「お帰り…!どうだった!大丈夫だった?」
「パパァ!わあぁぁぁあ!!」
「オッス!パパ!」
なんだか感覚的に1年ぶり位の気持ちがするが、1週間も経っていないらしい。
すぐ泣き出す長女と、久しぶりなのにマイペースな次女も相変わらずでホッとする。
けどなんだろう、すごくワクワクする。
というか半分拉致みたいなもんだったのに、すごいことに気付かせてくれて気がする。
「あ…あのさ…」
ちょっと恥ずかしながらも、妻に事の顛末を話さなくてはならない。
「う、うん…」
ゴクリ、と唾を呑み込む音が聞こえそうな顔をしている妻。鼻穴も広がってしまっている。
「俺…今の仕事しながらお笑い芸人目指すわ。」
「うんうん…はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!??!」
終わり